冷戦が終結したころ、私は、慶応義塾大学法学部政治学科を卒業して、外務省専門職員として社会人生活をスタートさせました。本当は、外務省で北欧の専門家になりたかったのですが、その願いはかなわず、英語の研修生となりニュージーランドへ派遣されました。カンタベリー大学大学院での研修を終え、在ニュージーランド日本大使館に勤務しているときに人生の転機が訪れました。外交官として捕鯨問題という「ジャパン・バッシング」を直に体験し、国際社会における日本のあり方を個人的に深く研究してみたいと考えるようになったのです。5年間お世話になった外務省を辞めて、オックスフォード大学大学院に進学しました。大学院では、J.A.A.ストックイン教授のご指導の下、野生生物保護の国際規範(調査捕鯨、公海流し網漁業及び象牙貿易を禁止する規範)に対する、1987年から1991年にかけての日本政府の対応を分析した博士論文を書き上げました。
その後、客員研究員としてハーバード大学国際問題研究所に留学した経験から、私の学問的関心は「動物の安全保障(?)」から「国家の安全保障」に移りました。2001年4月から大阪外国語大学で国際政治学の教育を担当することになったこともあり、安全保障問題の研究を本格的に始めました。まず取り組んだのが、民主的に軍を統制すべきであるという規範が欧州安全保障協力機構(OSCE)においてどのように促進され、また、旧ソ連諸国でどれくらい国内法制化されてきたのかというテーマでした。次に、集団的アイデンティティや安全保障共同体という概念に焦点を当てて、日米安全保障体制の変遷について研究してきました。以上のとおり、私はさまざまな研究テーマに取り組んできましたが、国際関係における規範やアイデンティティの役割に焦点を当てる「構成主義(constructivism)」というアプローチを重視してきたという面では、これまでの研究に一貫性があるのではないかと考えています。
2010年4月に古巣である慶応義塾大学法学部に戻ってきて、現在、国際政治理論と安全保障論の研究・教育に従事しています。研究会については、厳しくも楽しい「学び合う共同体」作りを目指していますので、志の高い学生の入会を歓迎いたします。
法学部教授 宮岡勲
出典:「教員紹介」『三色旗』第752号、2010年11月、23頁、一部修正。